回顧録

考えごと感じたことひとりごと

2024.01.06

恋とか、愛だとか。

 

恋とは一瞬で燃え盛り、いつかは冷めゆくもの。では愛とは?愛とは持続可能なものであり、確固たる意思である。また、恋人や夫婦、パートナーシップを結んでいるもの以外にも抱くことができるものだと思う。友人関係にも愛と呼べるものがあるだろう。そして、恋人とも友人とも言えないようなまた名前のないつながりにも愛はあるんじゃないか。

 

私は人との関係性に名前をつけたがる節がある。白黒つけたがるのだ。でも、名前がつかない関係だってあるだろう。このグレーゾーンを楽しみたい。その人のことを知りながら、思いやりながら、距離をはかっていく。人との関係って、そういうのが大事なんじゃないか。あくまで、自分の意思はそのままで、他人を受容していく。

 

恋って、宝箱の中の飴玉だ。たまに思い出して、口に含んで甘さを味わう。甘美な思い出にとろけて、そして、懐かしんで宝箱を閉じる。そんなきらきらとした結晶は、私を生かすことはできないけど、彩ることはできる。

 

一方、愛って?愛って、私の生きていく上で必要なものだ。今まで、恋人や友人たち、そしてそのくくりにはいないあの人たちが私を思って送ってくれた言葉に幾度となく生かされてきた。会った回数はたとえ少なくとも、あの時のあの人のあの在り方が私を生かしてくれたと思える瞬間がいくつもある。生きる価値がある人生なんだと教えてくれた。ああ、私もそれを送ることのできる人でありたい。愛とは、その人を受容することだと今は結論づけている。

 

付き合う、とは。恋人になるとは。その人のことをもっと知りたい、そして、他の人にはとられたくないというある程度の独占欲がある時に、初めてその人と付き合いたいと思うのではないか。愛情が欲しいと思って付き合うのではない。私がその人のことを知りたくて、そばにいたくて付き合いたいと思うのだ。確かに付き合うと、甘やかな時間を過ごすことができるだろう。でも、それを長続きさせるには愛が必要だ。一瞬の甘美な時間のために、付き合うことはできても、その人自身を愛する気概がないと、あっという間に冷えていってしまう。そして、これは一方だけが思っていても成り立たないと考えている。お互いが同じように思いやり、言葉を交わすことで可能になるのではないか。となると、恋人となると、ただの恋心だけで成立するものではなくなる。

 

私が前にした恋愛は、かなり自分を削っていた。自分が何を好きで、何に感動し、何を美しいと思うのか、見失いかけていた。趣味という趣味はなくなりかけていた。本当に大好きな人とずっと一緒にいられる幸せはあった。でも大好きな人の幸せを心から願っているわけではなかったのだと思う。私のことを愛してくれるその人のことが好きだった。1番ダメだったのは、私がその人に融合しかけていたことだ。

 

次にする恋愛では、私はあくまで私自身でいたい。私という人生と、恋人の人生が、たまたま重なり合って時間を大切に過ごすことができたらいい。くだらない、束縛や嫉妬なんて捨てて。巷の基準なんて放っておいて、私とあなたの関係性を作っていきたい。その人がその人であることを心から祝福できたらいい。これが、私なりの恋人に向けられる愛だ。恋人がどれだけ私のことを愛してくれるかではない。愛されたいのではない。自分よ、忘れないように。

 

まだ、わからないことがたくさんだ。エーリッヒフロムの『愛するということ』をまた読むことにしよう。