回顧録

考えごと感じたことひとりごと

2023.12.20

自身の恋愛感情について考えたメモ。

 

私はこれまで異性の友人が少なく、大体は複数人で仲良いものだった。友人であったとしても、2人で会うとなると違うなとなる人が多く、そもそもそんな機会すら作らなかった。そのため、2人で会っても気まずくならない、自然体でいられることが恋人の条件となっていた。

 

しかし、2人で会っても違和感のない異性の友人がここ一年でできた。俗に言う男女の友情が成立したのだ。これは、私に恋人ができて、男性との距離感に慣れてきたからだとも思う。過剰に緊張することもなく、自然体でいられる。

 

では、この友人に対し恋愛感情を抱くことはあるのだろうか?そう考えたが、天地がひっくり返っても無いという結論に至った。なぜだろうか。自然体でいられてとても楽…なのだが、どこか無意識で女として見られないように行動していることに気づいた。

 

自分の中の女として見られないようにする、のボーダーラインが緩くなっているため、2人で会うことには抵抗が無くなってきただけであり、根本的な部分は一緒であった。彼の前では女らしさを見せたくないと思っている自分が常にいる。気づいたらその人のことばかり考えたり、特別会いたいと思ったりすることもない。恋心を抱いていないのだから、そういうものだろうが。たとえ、彼から恋愛的な好意を寄せられたとて、そうなることはないだろう。

 

では、もう一つのパターンとして、長年親交を深めてきた人から好意を寄せられたとしよう。その時に私自身も好意を抱けるとすると、先ほどとの例と比べて何の違いがあるのだろうか。もともと異性としての魅力があったが、タイミングがずれていたたために付き合うことがなかったのだろうか。それでは男女の友情はそこでは通用しなくなってしまう。これに対しては、魅力の尺度が経験と共に変わること、同時に相手も変化することがキーとなりそうだ。明確な基準はないが、ここでも、その人に異性として認識してもらいたいか、無意識にでもバリアを張っていないかが自分の中で基準となるように感じる。

 

私にとって恋愛感情とは人間関係から地続きになっており、その先に抱けるものだと感じる。特に実際に付き合うかどうかを考える場合には、だ。そうじゃない人もいるのだろうか。どちらが多数派なのだろうか…。

 

人と付き合うこともまだだったその昔、好意がバレないように好きな人にはよそよそしくなっていた。好きな人の前だからこそ、何を話してもいいかわからないし、動きもぎこちなくなってしまう。それは私が人の好意を受け止める器量が無かったからだ。こんな私と付き合って何が楽しいのか?与えられるものがあるのか?だからこそ、秘めておくべきだと思っていた。その頃から比べると、とても成長したように感じる。いささか傲慢すぎる方向に成長したようにも感じるが…。この頃の謙虚さは忘れないでいたい。

 

余談…他人のことはわからないが、一般で言われる人たらしの人は、異性として見られないようにするボーダーラインがあまり無い(もしくは無い)のではないかと推測した。いわゆる、男女を男女とも意識していなかったり、距離感が近かったりする人だろうか。巷で言われていることがやっと腹落ちした気がする。