回顧録

考えごと感じたことひとりごと

11月26日

朝4時に帰宅する。新聞配達人と共に外を走り、冷え切った身体をこたつに潜らせる。今日、私は22歳になったらしい。自覚はない。自覚は無くても月日は経ち、歳は取る。いつまでたっても「大人」になった気分はついてこないのだろう。ブラックコーヒーが飲めるようになっても、お金が稼げるようになっても、子どもを生み育てたとしても、ずっとずっとずっと「大人」とは?と考え続けると思う。思い返すと子どもの頃、周囲を見て憧憬を覚えていた大人とは概念であった。子どもはいつの間にか現実を知り、大人たちを冷静に傍観する、「大人」の一歩手前にいた。

 

ここ最近、長いトンネルから抜けてやっと日の目を見ている気がする。今までが内に篭る時期であればこれからは外に意識が向く時期の予感がする。今焦って決めずとも、それはいずれ過去を振り返ったときにわかるものだろうが。

 

自分のことを思い出してくれる友人たちの存在に、素直に喜んでいる自分の感情を自覚した時、回復したのだと気づいた。1人で生きていきたい、ひっそりと山奥に住みたいと他者を拒絶していた頃からは考えられない。約束を反故にしたこともある友人が今でも私と付き合いを続けていてくれることは本当にありがたいことだ(人にはさまざまな事情がある。人に対し、できるだけ寛大でありたいと思うのは、自分がこの時したいくつかの小さな裏切りを大目に見て、付き合いを続けてくれる人がいるからだ)。

 

世間の言う「大人」になんてならなくていいから、この大切な人たちと信頼関係を築きいつでも愛を伝えられる余裕を持って生きていけたらいい。自立していても、一本筋の通っていない人はたくさんいる。周囲を見ていてよく思う。机上の空論かもしれないが、ハングリー精神をもってしてお金や利、そして名誉を追求する生き方よりも、穏やかに誠実に自分の心地よい在り方で生きていきたい。

 

そうこう考える内に身体はすっかり暖まっていた。時刻はもう6時だった。こたつから抜け出し、着替えて顔を洗い、寝支度をした。寝室へ行くと目を覚ました母からぶつぶつと小言を言われる。もっともだとうんうん頷き、まだまだ私も一本筋が通ってないなと思いながら目を瞑った。