回顧録

考えごと感じたことひとりごと

2023.04.26 人間関係について2

放任主義で、放課後友達と遊ぶより一人で過ごすことが好きだったせいか、集団行動が強制されなくなった大学以降は基本的に一人でいた。

だれかとずっといる、というのは考えられなかった。他人からも私はクールだともいわれた。断捨離が好きな性格も相まってか、若干薄情だとも思われていた気がする。確かに誰かに執心することはめったにない。友人関係もそうだ。ある時期からマシになったが昔の自分はフッ重すぎたなと思う。

 

そんな自分が豹変してしまうのが恋愛関係だ。恐ろしいことに、恋人こそが私の全部を受け止めてくれる存在だと勘違いしていた。ある意味、そう思っていたことで、恋人であっても悩みを話せない…本当の自分が出せない…なんてことはなかったので良い指標だったかもしれない。しかし、その恋人に執着してしまうことで相手に不快感を与えたことも多かっただろう。

 

恋人とは四六時中一緒にいた。自分では信じられなかったのだが、ほぼ正反対な性格にもかかわらず一緒にいるのが当たり前の存在だった。いろいろ思うところはあったが、これ以上ぴったりの相手はいないと思っていたしこれからも一緒にいると思っていた。離れてしまうと自分がどうなるかわからなくて怖かった。全部が崩壊しそうで。それほどに依存していたのだと思う。

 

二人が向き合っていく中で、その相手を受け入れてそばにいようとするためには、そう思えるだけの熱量が必要だと思う。その熱量というのは恋だったり愛だったりだろうか。だが、実際に自分のすべてを受け入れて!と常に要求するのは酷なことだと思う。ほかの人はもっと友人だったり家族にだったり分散させているのだろう。それを私は一心に恋人に向けていた。

 

ずっと私が感じていた孤独は自分で生み出したものだった。そして孤独を悪者にしていたのも私だった。

 

ただ、今の自分がもう少し前の過去に戻ってくれたら。それだったらもっとうまくできていたのにな。また昔みたいに…と思ってしまうことも多い。

この経験を糧にするしかないのだが。

 

人は失ってからでないとわからない。また、人は受け取ったものしか与えることができない。「受け取ったもの」というのは、私自身の認知によって変わりうるものだから、たとえほかの人が「なんて不幸なんだ」と思うようなものでも、私自身で変えることができる。端的に言えば、経験から学ぶことは多い、ということだ。その経験をどう捉えるかは自分次第だし、良い方向にエネルギーを向けられるのなら私はなんとか生きていける。

 

今の私は、数年前の私よりも精神状態が良い。勝手に四面楚歌だと思い込んで生きていたころよりも確実に。それは恋人との付き合いを通じて変化したものだと思う。与えてくれたものだ。今は別れてしまったが自分の人生の中で多くのことを気づかせてくれた大事な人であることには変わりない。